ペテロの手紙 第一・第二

『主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら…』 (Ⅱペテロ2章20節)

『征服される』ということばには、完全に敗北し、支配され、敵の言いなりになってしまうという強い意味が秘められていますが、ペテロは、『世の汚れ』には、私たちを征服する力があると指摘します。決して心地のよいことばではありませんが、『人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです…』(19節)と、私たちが世の汚れに征服されると、罪の奴隷状態から抜け出せなくなる恐ろしさが、的確に表現されています。さらに、『イエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。』(20節)と私たちクリスチャンに対する警告が続きます。『愚かな者は自分を愚かさをくり返す』(箴言26:11)という箴言のことばを思い起こさせながら、『豚は身を洗って、またどろの中にころがる』(Ⅱペテロ2:22)とみじめな信仰者の状態を描きつつ、ペテロは熱心に『主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって』、『世の汚れからのがれ』ることができると、力強い救い主を指し示すのです。『主イエスを知ることによって』、『恵みと平安が…ますます豊かにされます』(1:2)。『あらゆる努力をして』(1:5)、救い主を見上げることです。『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。』(1:8)今日のディボーションは詩篇85篇とⅡペテロの手紙2章です。祝福をお祈り致しております! (2012.12.12. #2079)



『こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして…』 (Ⅱペテロ1章5節)

もう間もなく、地上での生涯を閉じようとするペテロが、クリスチャンにとって大切なことを『思い起こさせ』、人々を『奮い立たせ』ようと、力強い手紙を記しています。『自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまった…』クリスチャンはみじめです(9節)。そんな状態に陥ることがないように、ペテロは、『主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように』と祈ります(2節)。私たちが主イエスを知れば知るほど、恵みと平安が豊かにあふれるからです。また、私たちがイエスさまを『知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与え』、私たちは、『世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者』(4節)となるのです。創造のはじめに私たちが主の似姿につくられたように、『私たちはみな…鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。』(Ⅱコリント3:18)。イエスさまを見つめていると、鏡のように主の栄光を反映することができるのです。ペテロの手紙を受け取る人々にとっては、『すでに…知って』いる事柄でしたが、『あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい… 』とペテロは激励します。ただ、知っていることに満足するのではなく、『思い起こ』し、『奮い立』ち、『ますます熱心に…召されたことと選ばれたこととを確かなもの』とするときに、私たちが、『つまずくことなど決して』ないからです(10節)。今日のディボ―ションは詩篇84篇とⅡペテロの手紙1章です。祝福をお祈り致しております!  (2012.12.11. #2078)